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#選挙に行こう をお祭り騒ぎで終わらせないために明日からどうするか考えようよ。

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今日は以前から割りとネット界隈で盛り上がってきている参議院議員選挙の投票日ですね。

朝から投票してきたとネット上で報告する人がいて、その変化がおもしろいなと思いながら、期日前投票を済ませた僕はお家でのんびりとネットを眺めています。

実際に今回選挙というものに目が行き、重い腰を上げて「投票に行ってみようかな」と思い立った人もいるのではないでしょうか。

ですが、どうもこれが一過性のものでしかなく、決して若者が政治に関心を持ったというわけでもないように思っています。(というかそもそも前回の投票率を現時点で下回っている説もあるようですが...)

そこで、せっかく良くも悪くもこういうムードなわけですから、それを次に繋げられれば良いのかなと思い、思ったことを書いていこうと思います。

#選挙に行こう

今回、メディアでもその他SNSで個人の投稿でも、選挙に関してかなり賑わっています。これまでは、

『あれ、昨日選挙あったんだっけ?』

っていうくらいに忘れ去られていたような気もしますが、今回はこぞってどこも取り上げているので、【選挙】という字面を見ない日はないくらいでしょう。

おそらく、事の発端はSEALDsやその付随する諸団体(詳しくは知らない)のデモなどの活動がメディアに取り上げられたことでしょう。これまで特に投票率の低かった若者が政治のために活動しているという意外性とその活動の独自性()が持ち上げられた理由でしょうか。

理由はなんにせよ、こうした諸活動が【選挙】や【民主主義】という言葉を世論の関心の中に持ち込んだ功績は大きいと思っています。

実際に、国民のひとりひとりが政治的見解/意見を持ち、それを投票という形にせよ、それ以外の形(デモでも文書でもブログでも)で伝えていく姿勢はとても重要だと思っています。

また、18歳選挙権が今回から適応され、さらに若者の政治参加という話題に拍車がかかっています。

こうした諸々のこれまでの活動がこうして実際に世の関心どころとなり、世間に影響を与えた結果がこの【#選挙に行こう】なんだと思っています。

残された問題点:理由の欠如

投票やデモという形で声を届けるという姿勢はとても素晴らしと思いますし、見習おうと思いました。そのために批判されても活動を続け、実際に世論を動かしたのですから口だけな人(僕も含めて)よりよっぽど日本のために動いているとも言えるでしょう

とりあえずみんな選挙に行こう!ラップでも何でも選挙という重苦しいイメージを払拭して政治を身近なものにしていこう!という発想はわからないでもありません。実際に、選挙/投票に目を向けてもらわないことには始まりません。

しかし、とりあえずはとりあえずであって、第一ステップでしかありません。

こうした政治参加を促す諸活動を上のような理由で賛同する一方で、どうしても賛同できない点があります。それが、【理由の欠如】です。

声を届けることは大事です。意見を主張していくことは民主主義という政治体制の中では必要な動きだと思います。しかし、問題はその声/意見はどういったものなのかという問題です。

駄々っ子とそのお母さんを例に考える

例えば、おもちゃを買って欲しいと泣き喚く子どものわがままを考えてみましょう。このわがままにそのまま屈して要求を聞き入れるお母さんは珍しいと思います。そんなことをしては、お財布事情も厳しいですし、同じように別のものを際限なく要求されかねないからです。

それでは、どうすればこの子どもはどうすればおもちゃを買ってもらえるのでしょうか。どうすればお母さんに聞いてもらえるのでしょうか。

それこそが【理由付け】だと思っています。

例えば、『みんな持っていて僕だけ持っていないと一緒に遊べない』と言ったらどうでしょう。仲間はずれにされてしまうことを危惧した親であれば、買ってあげることが必要だと判断するかもしれませんし、おもちゃで繋がる友人関係は重要じゃないと思う親であれば、それでも買い与えないかもしれません。

なんにせよ、理由をつけることで、お母さんへ判断基準をもたらすことになります。その声/意見を受け容れる必要があるのかを考える材料になります。

ですが、理由もなく泣き喚くだけであれば、『周りに迷惑だから静かにしなさい』と叱られて終わりなのです。

今回の #選挙に行こう は【泣き寝入りするくらいなら泣き喚く方がマシ】という程度のものなのです。確かに我慢するよりはどう思っているかをとりあえず伝えるほうが良いかもしれません。でも理由もなくただわがままをいうだけなのであれば、正直黙ってくれていたほうがマシだとお母さんとしては思うところでしょう。

それなのに、こんなに泣き喚いているのに聞く耳を持ってくれないお母さんはオカシイ!と子どもに批判されてはお母さんもお手上げ状態でしょう。

これがわがままな大衆とそれを完全に受け容れられない政府の構図のように見えています。

あくまで #とりあえず泣き喚こう! は、理由を一緒に伝えてお母さんに交渉するための最初のステップでしかないはずです。

何回も泣き喚いて、お友達も動員して、数の勢いでお母さんを押し切り、なんとか要求を飲ませることをさも正義のように語ることはやはり違うと思います。

いつまでも泣き喚き、駄々をこねることがファッションであり、格好良さだと勘違いするくらいなら沈黙を守っていただいたほうがよっぽどマシでしょう。

声を上げるのは第一ステップであり、次にお母さんを納得させるように理由を考える第二ステップが必要なことは自然なことのように思います。

それでは、参議院議員選挙を終えた今の自分を振り返って、それがこの駄々っ子で終わらないために、継続的政治参加のために明日からできることを考えてみましょう。

理由を考えるための2種類の学び

説明を簡単にするために、最初に言葉を確認しておきましょう。まず、理由のないわがままをここでは【気分】と形容しておきましょう。対して、理由のある主張を【意見】と呼ぶことにしましょう。

よくわからないけど気に食わないから舛添やめろというのは【気分】であって、決して【意見】ではないのです。

この言葉の使い分けから先ほどの第一ステップと第二ステップを整理するとこういうことになります。

●第一ステップ:【気分】でも【意見】でもいいからとりあえず声を出す。

●第二ステップ:その声を理由付けによって【意見】という形にしていく。 

第一ステップに関しては、実現しやすい雰囲気が醸成されているような気がします(あくまで一部が騒いでいるだけで実体はそうではないのかもしれませんが、投票率が気になるところです)。

そして、それを第二ステップに繋げるためには大きく分けて『1.候補者/政策を知る』ことと『2.社会を知る』ことが必要だと思っています。 

候補者/政策を知る

これは各選挙ごとの公約で候補者が何を主張しているのかを知る作業や、現職の人が何をしているのかを知ることになります。今回の参議院議員選挙を通じて、選挙公報を見てみたりした人も多いでしょう。それがこの学びに当たります。

投票先を選ぶに際して、候補者が何を主張しているのか、現職の人については何をこれまでしてきたのかを知らなければ判断することができません。

ですので、この作業は政治的意見を主張する上で必要不可欠なものといえます。

ですが、それだけでも不十分なのです。なぜでしょう。みなさんも感じたかもしれませんが、選挙公約を見ても、「それってホントウなのかな?」「そんなことできるのかな?」という疑問に対する答えは用意されていないのです。

つまり、付け焼き刃的に選挙前だけ選挙に関する情報を集めても、どれが自分たちの将来のために望ましいのかを判断することはできないのです。候補者に関する情報は判断する対象であり、判断基準となる材料は別のところで日頃から自分の中に貯めておかなければなりません。それがもう一つの学びです。

※こうした疑問すら持たないで決めている人は、【気分】で投票先を決めているに過ぎません。

社会を知る

この学びは、選挙直前に発表される情報を集め、候補者を知るという学びと対照的に、日頃から長期的に行う学びです。これこそが【気分】を【意見】たらしめることのできる視点です。

例えば、経済学を知っていれば、最低賃金を上げることがいい効果をもたらすのかを自分で考える事ができます。政治学を知っていれば、日米安全保障の在り方やそれを踏まえた外交方針に対する意見をもつことができます。

何故かと言うと、それぞれの学問の主張には必ず根拠があるからです。それが必ず正しい訳ではありませんが、それを主張する理由が必ずあります。そしてそれが自分で自分の意見を構築していく糧になります。

そしてその蓄積が、候補者の主張を判断していく基準になります。

最低賃金を上げると、みんなの所得が上がって労働者の生活が良くなるって言われているけど、経済学では失業者が増えるという考えがあったということを知っていれば、どちらが説得的な意見なのかを考えることができます。

失業者が増えるのはどういうメカニズムなのか、それは今の現実にも適応できる考え方なのか、そういった切り口から政策/候補者の公約を見ていくことができます。

そのためには、そうした日頃からの学びが必要です。

そしてこの点こそが、わがままを言い続ける駄々っ子とお母さんと交渉できる子どもを分かつ境目だと思っています。

まとめ

わかりにくい文章となってしまいましたが、結論はこうなります。

本当に【民主主義】と称されるものに参加するのであれば、『社会を知る』ための行動を明日から始めた方が良いということです。

#選挙に行こう と選挙のあるときにだけ騒いだって、駄々をこねて痺れを切らしてたまにおもちゃ買ってもらえたらラッキーという程度の関係にしかなりません。

子どもといえど、お母さんと対等に交渉のテーブルについて、一緒に家庭(つまり日本)を良くしていこうと思うのであれば、それ相応の努力をしなければなりません。

テキトウなことを言って【気分】に基づく全てのわがままを叶えさせるのが民主主義であり、それが遂行するのが政府の仕事というのであれば、それは相当の誤りだと思います。

イギリスのEU離脱もアメリカの大統領選も争点は結局のところ【気分】 vs. 【意見】の対立のように思っています。

どちらが、僕たちの取り戻したい民主主義なのでしょうか。それを決めるのは、紛れも無い僕たちの明日からの行動だと思います。

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